マイヒストリー①

目次


第一章 

〜突然の別れ〜


まだ暑く

セミの声が常に聞こえていた高1の夏。

それは突然やってきた。



薄暗い病室の入り口近くに立っていた私の肩を

伯母が抱き、体をさすりながら涙声で言った。


「辛い思いさせてごめんね。

もうすぐ楽になるからね…」


15歳の私にもその意味ははっきりわかった。


「もうすぐ楽になる」


お腹が痛くて薬を飲んだ後の「回復」を待つ言葉。

ではなかった。

初めて知った…言葉にそんな使い方があるのだと。


それを彼女の母親の口から聞く…

心臓を何度も切られるのではなく、

たった一言が、脳の核心を刺す。


何かないのか、どうにかならないのか、

どういう状況なのか…

忙しく何かの望みを必死に探す私の思考は、

その言葉で働きを止めた。


「彼女は死ぬ」


生きている彼女の体を目の前に、

突きつけられる現実は。真逆だった。


自分の子供の命に対して1パーセントも

望まないはずのその言葉を。

母親が口にしなければならない現実。


ショックだった。


私の肩を抱く伯母の手のひらから、

温かい体温とは別の、絶望という

冷たく力のない温度ばかりが体に伝わる。


霹靂のような一言に…

私は伯母の顔を見れなかった。

彼女を見つめながら泣いたのか

呆然としていたのか、

今となっては全く覚えていない。

彼女とは物心がつく前から一緒だった。

気づいたらいつも一緒にいた。

家庭の事情で当時15歳の私の人生の半分
には及ばずともかなり長い時間、
同じ屋根の下で育った。
一つ歳下、14歳の従妹。一人っ子だった私の。
まるで妹だった。
 

父の帰宅に玄関に並んで座り、
三つ指ついて「おかえりなさいませ。」
と言ってはキャーと、
大笑いしながら部屋へ走る。

一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、
父の肩の右と左に担がれ、三人で寝る…。

喧嘩をして顔にひっかき傷を作るも、
怒られるからと、お互いをかばって
別々の場所でだんまりを通す…

今もむくれた二人が並ぶ写真が残る。


川の深みに行ったら「八つ墓村〜!」っと
逆立ちして飛び出る足を見ては笑い、

水面に戻る時に鼻から水が入ってむせては笑い。


八時だよ!全員集合!を見ては転がって笑い、
ひげダンスを踊っては笑い。

お正月、祖母手作りのおそろいの着物を着て。
親族がお屠蘇を飲んでいるマネがしたくて、
二人でミカンを手で絞りとっくりに入れて
お猪口についで真似をして飲んで

酔った大人の真似をしながら笑い…

飲みすぎて二人ともお腹を下しては笑い…

思い出すのはおちゃらけることが大好きだった

大笑いする彼女ばかり。


ちょうど一年前の祖父の葬儀では
同じ中学校の制服を着て、二人で受付係。
悲しくても。二人だったから楽しかった。


小学校も中学校も、部活まで一緒。
どこへ行くのも何をするのも

「ペア」だった。

 
いつもそばにいて、一緒に大人になり、
母になり、子供同士を自分たちと同じように…
それは

当たり前に訪れる未来だと。
大人になるのは当たり前だと。
未来は当たり前に訪れるものだと。

思っていた。
 
そう
.
.
.
あの時までは。
.
.
.

あの夏。その瞬間はあっという間に訪れた。
前日遊んでいた時に調子が悪いと言っていた。
 風邪っぽい症状だった。
じゃぁまたあさってね〜!と言ったのが

彼女との最後の会話だった気がする。


翌日2時過ぎ…静まり返った真夜中。

電話が鳴った。
「発作!様子がおかしい!来て!!!」

すぐに両親と車で向かった。

彼女は救急車で運ばれた…
 
しばらく私は会えなかった。
最初の3日くらいは少し話に
うなずいたりしていることを母から聞いた。

「今の姿はきっとショックが強いから、
最悪、脳に障害が残るみたいだけど…
落ち着くまで少し、会うのは待って」

そう聞かされても病名は一向にわからず…。


私が病室に入れるようになった時はもうすでに、
意識は戻らなくなっていた。

症状は日に日に悪化していくことだけは分かり…
障害が残る?
意識がなくなって何日もったって、
最悪な未来が本当にそれ?
と、15歳の私からでも見えた現実…

足底の反射反応を見ては喜び、

それがぬか喜びだと知る一喜一憂を繰り返す。


望みと絶望の狭間で

それでも周りの大人の言葉を信じる以外、

私には脳がなかった。

そう言ったから…そう言っていたから…大丈夫…

.
.
しばらくして二転三転していた病名が判明し
今は治療法がないことを知る。
 
植物状態でもいい、このままでもいい、
話せなくても、目を開けなくても、
そこに、ここに、いるだけでいい。

だってほら、みんな言うじゃん。
医学は日々進歩してるって。
明日薬ができるかもしれないじゃない。
そうでしょ?
なんでもう少しで楽になれるなんて言うの?
3日生きていたら3日後に治療法が
見つかるかもしれないじゃない。
若いから治りも早いっていうじゃない。
どうしてみんな諦めるの?

原宿に行って、芸能人のお店行って、
クレープ食べよって。
お母さんになったら娘にはこんな名前を
つけるんだって。

言ってたじゃん!!

起きてよ、原宿行こうよ、
いつもみたいに笑おうよ、

ほら、テレビ見よ、

まだ一緒にやることいっぱいあるよ

まだ一緒にやってないこといっぱいあるよ。

いっぱい約束したよね。

また明後日ねって、言ったよね。

明後日とっくに過ぎたよ?


明日だって、来年だって、
お母さんになったって、
おばあちゃんになったって、
ずっとずっとずっと
一緒にいるんでしょ!
それが当たり前でしょ!
だって子供だよ。
子どもが死ぬって何?意味わかんない!


ねぇ、なんで起きないの?

なんで目開けないの?

なんで喋らないの?

なんで治らないの?

なんで?なんで?


「なんで…この子なのよぉ!!」
.
.
.
.
ちょうど一年前、祖父が逝った
記憶にある同じ匂いがし始める。
 

最悪「障害が残る」んだったよね
最悪「死ぬ」だなんて、聞いてない!!
 
 
何度も繰り返される
電気ショックの音、衝撃…
物の様に飛び上がる身体…


平坦になっていく心電図モニターの
テレビで聞くあの一本線になった
無機質な音が。

ドラマではない、自分の立っている目の前で、

真夜中の病室に大勢のすすり泣きの中に、

親がこの世を離れようとする我が子の名前を

泣き叫ぶ慟哭の後ろで無情に響き渡る…


なんか…どっか痛い…

わからない…何もわからない…

意味がわからない…

なんなのかわからない…


混乱し、でも冷静に傍観した。

泣き叫ぶ術もわからなかった。

感情の出し方もわからなかった。

その場にいたみんなが

自分を立たせるだけで必死だった。

同じく一人で立ち尽くしたまま

ただ頭の中は真っ白だった。


そんなことは全く何の関係もなく。



彼女の体は。生きることをやめた。
それが全て。
それが真実だった。

匂い、音、目に映るもの…
敏感になる五感は時に残酷で。
強烈な印象として15歳の私の中に残っていく。
 
病気が彼女のすべてを飲み込み、
宿主とともに消失するまで2週間
…あっという間の出来事だった…
 
 
突然。
私の目の前から彼女がいなくなった。
突然。
世界が変わった。
突然。
死んだ。 


悲しみが悲しみという言葉では足らず
「悲しい」を通り越して
私の中で何かが崩れ、感情は崩潰していく。

そこからの高校3年間で
更に色を失くして行きます…

第二章へつづく


 
今年の命日。
いつも通りお墓参り。
たまたまパート先で一緒になった幼馴染に。
明日の予定を聞かれ説明すると
「もしかして○○ちゃん?」
あの子の命を覚えていてくれる人がいた。
めちゃくちゃ嬉しくて。思わず
「覚えていてくれて、ありがとう」と言葉が出た。

「私の分も宜しく伝えて」
優しさに、素直に、泣けた。

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