マイヒストリー③

目次

第二章

からの続きです。


第三章

~癌…か…~


20歳になる頃は、学校の仲間や人に恵まれ、

勉強や働くことの楽しさを知り始め

人が亡くなることもなくなっていた。


でも私の中で「根付いたもの」の変化はなかった。

命はいつでも簡単に消える。

生きることが当たり前でもないけれど、

特に楽しいわけでもなく、

だからと言って嫌でもなくなっていたけれど。


死は悲しい、それは知っているけど、

怖いわけではなく。

ただ生きてる。ただ死ぬ。


生も死も…癌も。

物事はすべてただそこにある「事実」

どうもなく。どうでも…よかった。

そんな20歳の春。



体調を崩して市内のクリニックに行き、

このしこりの方が気になるからと紹介状をもらい、

安易な気持ちで数ヶ月、1人往復1時間、

市をまたいで通院。


私、癌だな…きっと。

数ヶ月に及ぶ色々な検査の内容や先生の話から

なんとなく気づいていた。

でも。

恐怖心はなかった。


一つは

調べていくうちに、難治性のものではなさそうだとわかったこと。

※もちろん、この癌罹患者全員の予後が良好なわけではありません。


もう一つはやっぱり

「生きている毎日」=「命」に執着がなかったこと。


すっかり仲良くなった父娘ほど年の離れた主治医から

「やっぱり。癌だった。次、お母さん連れてきて」

「わかった…でも私、ここに通ってること、

親に言ってない」

「は?」


少しもショックでなかった…と言えば

嘘かもしれない。

私…本当に癌なんだ…と思った。


でも、予想していた「それだけ、その程度」

のこと。大したショックではなかった。

何が困ったって。

当時、癌のイメージはまだ死に直結していた。


言えない……

言えないよ…


5年前、彼女を亡くしてあんなになった両親に。

「私の命と変えてくれ」ともはや人ではないほど

狂乱し自我を欠いた狂気の沙汰だったおばあちゃんに。


次は私が癌ですなんて。

私の口から

よう言わんよ……どうしよう……帰れない……


結局、後日、祖母には内緒で、

黙って母を連れて行く。

主治医は実にスマートに説明してくれた。

ストレート過ぎて母は困惑を極め、

かなり怒っていた。

私は先生のそういう事実しか言わない

スパっとしたところが好きだった。


外科的治療以外、方法はなかったため

しばらく入院して手術。


全て調べ尽くし、わからないことは全部、

その時すでに全幅の信頼を寄せていた主治医に

聞き、混乱したままの両親を他所に、

私一人納得して伝えていた。

「全部わかった!じゃぁ先生、ヨロシクね!」

「お前、怖くないの?」

「全然」


自分が手術を受けることも、何も思ってなかった。
納得したし、私がオペするわけでもない。
寝てるだけ。なるようにしかならん。


何回もやった細胞診。
仰向けになった真正面から、
喉に太い針を刺して体液を抜く。
そっちの方がよっぽどホラーだった。


たった4時間のオペ

「じゃ〜後でね〜いってきま~す」

笑顔で両親に手を振ってオペ室へ。


無理して普通に振る舞っていたわけじゃなかった。

心配かけないようにオーバーに大丈夫アピールはしていたが

どうもなかった。

そんな心の内を知らない親は

「明るい」私に救われたと言っていた。

泣かれたらどうしようかと…って。

そんなわけないわ…と冷静に思っていた。

数時間後


喉の違和感……

勝手に体がえずくのに何度それが起こっても

原因が取れない……


気持ち悪い……

ひたすら苦しい…

息できん…


真っ暗……

モニター音……


「あ、気づいた?」

「気持ち悪いね、これ外そうか」


なんとか小さくうなずける…

なんかあるんだ…


うぅ…ムリ!何これ??


ん???

気管チューブ?

なんでだ?

4時間後、こんな予定?

4時間後って、夜じゃないよね?

なんか色々よくわからん…


私どうなってるんだろ…

ん〜なんか

朦朧としてる……

全身管と針だらけ?

両腕、両足、胸…点滴、モニター……

痛い?のか?

ここ…ICU…?なんで?


指が見える……

自分の手の指だ…

死んだおじいちゃんの手と同じ色してる…


そっか、私このまま死ぬんだっけ…

ん~なんか起きてるの…

しんどいな…

もう…いっか…

寝たら起きないのかな……

でももう無理だ…

起きていられない…

疲れた…

目…閉じよ…


自分の意志で意識を手放した。

その状態でも目を閉じたら死んじゃうかも!

などという感情は、一瞬もなかった。

苦しくもなく、心地よかった…

こうやって死ぬのか、

特に何も思わないんだな…って、思った。

誰のことも、何のことも、思い出さなかったことを

はっきりと覚えてる。

次に起きた時はもう、日が変わり明るくなっていた。


10時間半後、夜遅く…先生4人が汗びっしょりで

オペ室から出てきたそう。

取り除いたものを見せてもらい

「わかる範囲のものは全て取ったけど、

たぶん再発するでしょう」

との言葉に、両親はホッとしたのは束の間どころか数秒。

一瞬で絶望したらしい。


なんで取ったもの、写真撮って

もらわなかったんだろ…

私の体にあった癌、見たかったな…

これは後に私が思った感想。20歳。

親が「その冷たさが怖い」というほど、

恐ろしいほど、命に対しては器械的な人間だった。


翌年、予定通り?再発し。二度目の手術をした。


また更に翌々年、2度目の再発か?と、なったけど、

とりあえず様子見で、今も年一アフターに通う。

良かった、心から良かった。

自分が生きてることが。


ではなく。「私まで死ななくて。」


親が更に辛い思いをしないで済んで良かった。

ということに。心から安堵した。


死への価値観は歪んでいたけれども、

身近な人を心配することに対してはまた異常に敏感だった。

それもある意味、強烈なショックでトラウマだったのかもしれない。


あの時も今までも、

どうして私が…とは一瞬も思ったことはない。

逆に、親には申し訳ないけど私で良かったと思った。

自分が痛いのと。

大切な人を想って泣くのと。

体の丁寧に計算された傷なんて大したことはない。

比べるまでもなく、後者の方が圧倒的に耐え難かった。

その当時乗り越えられていなかったことをさらに

2回も3回もは…自分も、親にそれをさせるのも…

無理だった。


大切な人の手を放したくない気持ちは、

痛いほど知っていた。

それが狂気的になるほどということも、

親が子供を想う愛がそれほどのものだということも、

5年前もその時も、見ていて十分すぎるほど知っていた。


入院中「せっかくきれいな体で産まれたのに!なんでメスなんか!」

「この子まで連れて行かれたら!」

手術が決まってももしかしたら奇跡が起こるかもしれないと、

色々なものを探し回っては…試された…

それは凄かった。

実に色んなことをした、食べた…連れて行かれた…

なかなか…辛かった……

親となった今ではするしないは別として気持ちは理解はできる。


でも当時は

なんとかしてオペを回避したかったんじゃない。

なんとか自分が生きたかったんじゃない。

私だけが、「私の命のため」じゃなかった。

心配してくれる人たちを安心させるという目的。

見る側がどんなに苦しいか、知っていたから。

すべて応えたのは、それだけだった。


みんなの心配を見て、自分がこうなったことが、心から申し訳なかった。


外泊許可が出た折、なぜか般若心経の解説本を買い、

蛍光ペンを持って病院に戻った。

よく考えたら。

元々仏壇も日勤も日常にあり、これもらっていい?と、

仏壇から祖父直筆の字が書かれた経本を

「おじいちゃんの形見」と勝手に決め、

一冊持って行っていた子供だったことを考えると。

案外お経は自分に身近だったのかもしれない。


難治性ではないとわかっていても、本能的に死を身近に感じていた色々と、

経験からの冷たさ。

周りの痛いほど感じる心配には120%明るく振る舞う…内側は冷静だった。

色々なアンバランスはもちろん誰にも言えず、

一人では耐えられなかったのか、なんなのか?

自然に般若心経を読み込み、書き込みだらけになった本と、もう一つ。


オペ前日「明日頑張ろうな」と、わざわざ病棟に顔を見に来てくれる、

事実をストレートに言うから誤解こそ多いが、

心根が温かくてシンプルな優しさで、20歳そこそこの「私」個人に

向き合ってくれて、

現実に、重いものや根拠のない希望を持たずに事実だけに向き合い、

やるべきことを全うしてくれようとする潔い主治医だけには。


本当のことが言えた。救いだった。

余計なものがなく、無理をしなくて良かった。素でいられた。

般若心経の280字弱と、先生がいたことが。私を正常にしてくれていた。


退院後、

「仕事もしなくてもいい、ずっと家にいればいい、

毎日顔が見れればいい、元気で生きていればいい。」

と、すべてが極端に神経質になった親の元での生活の中で、

色々なことが正常ではなくなっていた毎日を生き、

それまでどうなっても持ち続けていた「夢」に対して

私の中にはある絶望的な変化が起こっていた。

「この夢は、叶えられない」


第四章へ続く…

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