マイヒストリー②
第二章
~ 「無感情」という静と、真反対の「激しさ」歪んだ高校生時代~
よく見ると、小さい頃のアルバムに知らない男の子と仲良さそうに自分が写ってる。
母に聞くと、いつも遊んでいた真裏のお家の仲良しのお友達だそう。
彼は生まれて数年の人生を終え、もうこの世にいなかった。
そして私の記憶の中に、その声も姿もない。
他にも小学生の時に知っていた子が一人、亡くなっていた。
高校時代、従妹を皮切りに、4人の同級生の葬儀に行った。
その後、幼馴染の両親が亡くなった。喪主が友達だったのがまたショックだった。
従妹を亡くしてから、確実に少し心に変化が起こっていた。
そこからそれまで考えたこともなかった様なことが、死が、
当たり前のように訪れ、私の感情は変わっていた。
生きる事、死ぬことに関して無関心ではなくて、なんでもないこと、
自分にとってなんでもなくなっていた。
「無感情」という「麻痺」
命が大切とも、尊くもなく、そこにあって、なるようにしかならないもの。
こだわりも、大切にしてもしなくても、無くなる時は簡単になくなり、
人がみんな持っているもの。以上。
悲しみを、悲しいことだと。
まったく感じなくなっていた。
あの死が悲しすぎたのか、どうなのか。
意味が分からず、受け入れられないまま、
自然に訪れるものとは違う人の死を見続けているうちに。
20歳になる頃には。
まったく泣かない人間になっていた。
無意識に防衛していたのか、すべてシャットアウトしていたのか。
気持ちにかすり傷もつかないほど、何かを隠して生きていたのか。
当時、終戦ドラマは毎年あり、ノンフィクションドラマも本も、
涙があふれてくるようなものはたくさんあった。
でも、何を見ても聞いても読んでも何も思わなくなっていた。
かわいそう…悲しい…そんな感情は一切なく。
温かいことも、ひどいことも、優しいことも、悲しいことも、苦しいことも。
ただ「それだけ」
あれ以上悲しいことが、自分になかったからか。
自分がどうだったのか、わからないけれど。
時を同じくして、沢山夢を持った子供だった私はどれも叶えられず、
自分の思った通りに生きれないことが窮屈でたまらなかった。
死んでも受験したくない!と言っていた高校への受験が決まり、
学級委員なんかをやっていたまじめな中学生時代から、
単位はギリギリ。遅刻、早退。スカート丈諸々は校則違反。
赤点に、親呼び出し。
大学なんて絶対行ってやらない。親の夢なんて絶対に叶えてやらない。
あんな学校行かせたから。ただただそう思わせたかった、その一心だった。
高校を辞める勇気もなく、三年間通い。
やっと終わった…もうあそこの人間だって言わなくていい。
カバン、教科書、生徒手帳、校章…二度と見たくない制服、
卒業式から帰って即、全てをごみ袋に投げ込む。
多分親に見せつけて大げさにやったのだと思う、激しい私のことだもの…。
結婚式でも、友達にも、子供にも高校のことを言っていない。
本当に。生きているのが楽しくなかった。
やりたいことを見つけてもできず、思うように生きられず不満ばかり。
周りはいつも死があって、「生きる」ことに何もなくなっていた。
不貞腐れるだけの高校生時代。
しかしそれも私の人生。それも必要なこと、経験。
今は親になり、本当にそういう時間を過ごしてよかったと心底思える。
でもその当時の私は、大した苦労もなくのほほんと育った
若干16、7の弱っちい子供。
苦しみを、憤りを、悲しさを、自分の情けなさを…
外に出さなければ、「誰かのせい」にしなければ。
生きられなかった。
受け入れられない死をいくつも目の当たりにして、
望むように生きられず、生きることが幸せとも、
楽しいとも思っていなった自暴自棄の10代後半。
それでも12歳の時からの夢は18歳で叶わなくとも
それ以降もずっと静かに持ち続けていました。
まっすぐにいつだって丁寧に、自分を大切に人生を歩んできたわけではありません。
たくさんのものを自分の手で壊し、うまくいかないことを誰かの、何かのせいにして
ぶつけ、傷つけ、情けなく…生きていました。
そんな私に転機が訪れたのは20歳の時。
第三章へ続く…
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