マイヒストリー⑤

目次

第四章 続き


第五章

~夢・息~


小学生のころ、

お友達で一人だけバレエを習っていた、

色が白くて上品で美人で

バレエがとても上手だった子がいた。


その子は私がバレエが好きなことを知っていて、

いつも発表会に呼んでくれて、

楽屋まで連れて行ってくれた。


目が輝くほどの素敵な古典バレエのお衣装に、

お化粧。夢の場所。

見せてもらえるのが単純に嬉しくて、

舞台を何度も見た…あ~本当に素敵…

そして私は

「すごいね、あんな事もできるなんて!

とってもきれいだった~!」

と、毎回彼女に花束を渡す。


その裏側で、いいな…私もやりたい…って。

確かに思っていた。羨ましい。

人をそう思って見ていたのもみっとも

ないけど私の真実だった。


彼女は使えなくなったトーシューズを

何足もくれた。

キレイじゃないけどはく?

そう聞いてくれて二つ返事で

「うん!ほしい!いいの?」と、

遠慮もなく履けなくなるたびもらった。


捨てられないように、部屋の奥へと隠した宝物。

学校から帰ると毎日母の三面鏡の前に

べニアだったか?何かを敷いて

誰もいないところで履く。

そしてつま先立ちをして見よう見まねで鏡の前で踊る…

こっそりと毎日気持ちだけバレリーナ。


本当に本当に嬉しくて仕方のない。至福の時間。

私の夢が叶っていた時間だった。

幼少の頃より憧れ、やりたいやりたいと

言っていたけれど叶わなかった夢、バレエ。

美しく踊る…単純にそれに憧れていて、

現実でやることができた「部活」で、

小学生の時にバトン、

中学校で器械体操へ進み18歳まで続けた。



長崎への一人旅行の後。

念願だった国際線と、

同時にスポーツクラブに籍を置き。

子供の器械体操スクールで体操の指導をしていた。

大好きな体操がまたやれることになり、

空港とスポーツクラブの両立で充実していた。


まだ始めて日の浅かったある日の授業で

「はい、バランスいくよー!

両手肩の高さにピーンして~

……

あれ?

私の右腕…

なんで上がらない?

あれ?

数秒でこれはまずいと思い、

名簿のバインダーを右手に持ち替え体の横に下ろす。

左腕だけ子供と同じ形にして、

バインダーを足に当ててカウントする。

外はいつも通り、何もない顔で授業。

頭の中、パニック!

何で腕動かないの?上がんないの?何これ??

授業が全て終わり、帰宅する車の中。

冷静になって気が付いた。


そっか…

先生が言ってた

「切っちゃいけない神経を切っちゃった」って、

このことか…

私、肩が上がらなくなってたんだ…

いわゆる「術後後遺症」


日常の生活には困ることがなかったから

全く気付かなかった。

服を脱ぐのも、服が上げてくれているから、

腕が上がっていた。

切った付近の肌の感覚がないことは

自覚があったが

肩を上げられなくなっていることは知らなかった。

先生が「硬くなるから動かせ」って

このこと言ってたんだ…


そこからは自分の性格がありがたい。

現実的かつ楽観的。

なるようにしかならない、なるようになる!だけ。


そっか。

動かせって言ったから、動かせばいいわけね!

ある事実は考えようが考えまいが、変わらない。

それなら、やれることをやるだけ。


仕事に支障がある

↓ ならば

仕事に支障をきたさない様にしなければいけない


以上。私、生きてる!何も問題ない!

よし、頑張ろっーと!

単純にそれだけだった。

そこからは我流?とにかくリハビリした。


受け持っていた女子選手コースが、

子供たちの小学校&スクール卒業により

閉講が決まり、私も一緒に3月で辞め、

体操の世界から完全に離れた。

数年後に空港もセントレアに移動することが

現実的な話になり始め、生活を一新。

名古屋市内のホテルのフロントとして就職、

本業一筋になった。

再発も止まった23歳後半…


今ならバレエが習えるかもしれない…


それは私の「叶わなかった夢」が

「叶った夢」に、なった瞬間。

人生を大きく変えた出来事だった。



職場ではやっぱり素敵なみんなや後の主人にも出会い。

全般的に落ち着いていた。


主人のことは最初、

なんてファニーな人なんだと思った。

笑い方が思い切っていて、

本当に楽しそうに笑う人だなぁと思った。


二人で会ううちに、なんとなく

色んなことが違っていることに気付く。

家から外に出る時、お出かけだろうが仕事だろうが、

パンプスにブラウス、しっかりバッグを持って出かけた。

遊びに行くのにもスニーカーを持っていない私は、

仕事ですか?の状態。


いわゆる「ヒールが脱げない女」

カチっとした格好をしてしか

「鎧」でガチガチにしなければ。

外に出られなかった。


そんな私に主人は丸で逆で、適当に遅刻しても笑顔。

いつも手ぶら、ラフな格好で自然体。

楽しそうに笑ってるかと思えば

酔ったら隣に座っている人に甘えていたりする…

私から見たら「自由人」そのもの、

のびのびしていていつも面白そうなことを

考えていて、実に楽しそうに見えた。


「そんなに考えたり構えなくても

その時楽しいって感じれば、

人生が楽しいんじゃないの?

その生き方、苦しくない?」


びっくりした。
ええっ!??私、苦しそうなの?
楽しければいいって、

生きるのってそんなんでいいわけ?


そうして傍にいるうちに、

段々と着る物も変わって行った。

スニーカーで遊ぶのが楽しくなった。

どんなに泥酔しても

記憶がなくなることはなかったが、

彼と一緒の時だけ、記憶が飛ぶようになった。

頑張っていなくてよかった。


「生きるのって、こんなに楽しいんだ」
初めて思った。

主人に出会ったのを一言で言うと


「生まれて初めて息ができた」

という感想。と、その当時から言っていた。
↑ 娘に言ったら

「それかなり病んでる」と言われた(笑)

今思うと、その頃から人との出会いを例える時も

「生きる」ことに直結していた。


頑張らなくていい (特に何も頑張っていなかったけど)
肩の力を抜いてもいい、構えなくても、鎧を脱いでも。いいんだ。

生きるのって

難しくなくて。

息をして、感謝して、笑う。

こんな単純なことで良かったんだ。


1人より2人の方が喜ぶでしょと、

顔も知らない従妹を名前で呼んで

自分からお墓参りに一緒に行ってくれる、

過去も病気も、難しいところも全部私だと

丸ごと受け入れてくれた主人とその後結婚した。


息をして力を抜いて生きることが

自然にできるようになっていた。


第六章へ

バレエが天職になる!ケアバレエヨガインストラクター養成講座 JACB・アロームリリーケアバレエヨガⓇ協会

バレエを仕事にしたい!バレエが大好き!でも、どうしたらいいかわからない… そんなバレエ大好きバレリーナの夢を叶えるための資格、ケアバレヨガインストラクター養成講座開講

0コメント

  • 1000 / 1000