マイヒストリー⑥

目次

第五章  続き


第六章

~命、たくさんありがとう~


従妹が亡くなり、

家の中がバラバラになりだした時、

私の自暴自棄の高校生時代。

母の提案で犬を飼うことになり、

コーギーの男の子が家族になった。


まるで人間の様な感情表現をして、

会話ができてしまう。

↑犬バカはだいたい知っていること(笑)

パパママっこで、私は完全に子分だったけど。

従妹が亡くなり本当の一人っ子になりできた

年の離れた弟。私の心の拠り所になった。


彼とは不思議なことがいっぱいあった。

癌がわかり手術を受けるときの時の

前後の記憶がないけれど、

同じ頃、彼も私と同じ場所、喉を病気で切開した。


バレエの舞台練習時、太ももを痛めた。

「もう少しで肉離れだね」そう言われた。

時を同じくして

私が散歩していた時、突然彼の足が止まって。

次の瞬間びっこを引き出した!?

ナント私のしかけていた「肉離れ」を彼はしていた。


癌が外科的治療で済んだこと。

肉離れせず、しかけ、で済み舞台に立てたこと。

彼が私が背負うはずだったものを半分

持ってくれているとしか。思えなかった。


一緒に生活をして、一度だけ

二人(一匹 ✖ 一人?)で散歩中に

マジ喧嘩をして、家に帰るまでお互いに

一度も顔を見ず、私が泣きながら帰る…

本当の話ですが(笑)そんな「家族」だった。



一年、今でいう妊活。に通い授かった長女。

主人が夜勤の日、またどうせだめだよと、

投げやりになりながら10数回目の妊娠判定を

待つある日、夕方の自宅アパートで一人。

大きな衝撃音が聞こえて慌てて外を見下ろす。


子供が二人倒れ、車が止まっていた。

2階だった私の家からは、全容が見渡せ、

一目瞭然、事故だった。

すぐに救急車を呼んだ。


一人は話ができていた。そのお母さまは

もう一人、あらゆるところから出血をし、

ぐったり動かなくなった甥っこを、

自身も血まみれになり抱き…なりふり構わず

泣き叫び助けを求めていた。

徒歩1分くらいのところに、

二次救急の病院があったのに、

救急車で二人が運ばれるまで

何時間にも感じられるほど長かった…


まただ…


私は「救急車呼びました!」と言えただけ…

足がすくんで、すぐ真下の現場まで…

降りれなかった。助けに行けなかった。

久しぶりに見たその狂乱した光景と叫び声が

脳裏に焼き付いてその日は眠れなかった。

あれでは…

そう思いながら翌朝4時過ぎ、

眠れず朝刊が入る音がして新聞を開く。


やっぱり……


悲しい記事が載っていた。


私は。

いつまでもこういうことに出会うのかな…

こういうことをたくさん見て、

命ととことん向き合えってことなのかな。

と思った。

しばらく、家の前のその道を通れなかった。


二日後、一度も家に来たことのない鳩が一羽、

ベランダにやって来た。飛んでいかない…

え?

「大丈夫だよ」

まるでそう言っている様に見えて、

勝手に涙があふれてきた。

わかったよ、ありがとう…って思ったら、

飛んで行った。

命は望んでも儚く簡単に消える。

そうか…

「命は望んで手に入るものではない」のだ…


彼の命が私に教えてくれたのか、

私何を勘違いしていたんだろう。

こんなに色々見てきて。

命をなんだと思って治療していたんだろう。

妊娠判定を落ち着いて待てるようになった。


その時の判定で陽性が出て生まれた長女が

一歳になる頃。17歳になった愛犬が逝った。

結婚して離れて生活していて良かったと思った。

一緒に居続けていたら…たまらなかった。


もうだめかもしれない。そう連絡を受け、

彼は仕事へ行く父と母を最後の見送りをし、

出勤前の主人に送ってもらった私と娘が実家へ行った。


主人に初めて会った時から大好きになったらしく、

主人が行けばいつも主人の股の中にいた。

「頑張れよ、明日また仕事終わったら会いに来るからね」

主人はそう声をかけ仕事へ、私は娘と犬と一日過ごす。

その数時間後母が帰宅し、母を待っていたのか、

私が一人で困らないように母の帰宅まで頑張って

一緒に待っていてくれたのか、数分後に


私たちの元から、この世から旅立って行った。


また離れた。

大切な命と。


でも昔とは違った。

ワンワン泣いた。悲しくて悲しくて。仕方なかった。

私を人間に戻してくれた、

どんなの時も寄り添ってくれた大切な家族だった。

喪失感が半端なかった。

主人と娘がいてくれてよかったと心底思った。

一人じゃなかった。

「私の辛さをいつも半分持ってくれて。

いつもそばにいてくれて。

いっぱい笑顔にしてくれてありがとう。

また会うまで、向こうで待っててね。

お姉ちゃん頑張って生きるから。」

そう伝えて。別れた。



その後、主治医が医者を辞めた。

転勤先の病院まで、高速を使って通っていた。

会うたびに

「肩、ごめんな、こんなに下がっちゃって。

あんまり出すなよ。見えないようにしろよ。

動かせよ。

あの時この神経は大丈夫だろうって思ったんだ…。

本当にごめん。」

10年以上。謝らない時が一度もなかった。

私は。

全く気にしていなかった。

病気も傷口も肩も、一切隠さなかった。

肩も自分で不自由がないくらいまで

動かせるようにトレーニングしていた。

先生にも、ちゃんとほら、動くでしょ、

大丈夫!と見せていた。


ストレートだけど、本当に一人ずつに寄り添う、

寄り添いすぎる先生は、

それゆえ医師という仕事が辛そうだった。

何百人という患者さんに対して、

一人ずつにこんなことを思って、

たくさんの難しいオペをしなければいけない外科医が、

いちいち一人ずつ平等に向き合っていた。

そんな医師だった。


生きることに投げやりだった

生きることに執着がなかった

生きることを大切に思わなくなった子供が。


癌になり、新しい家族に出会い、沢山の人に出会い。

変わっていた。


辞める最後の出勤日、病院に会いに行った。


「先生、今までありがとう。

先生に出会って10数年。

先生に診てもらえて安心だった。

いつも一緒にいた友達が余命宣告を受けた22歳。

真っ先に先生の携帯に電話したよね。

混乱して泣きながらだった私の話を、

嫌がらずにちゃんと聞いてくれた長電話。

どんなに救われたか。

いつもまっすぐに向き合ってくれてありがとう。


手術当日、10時間以上もの長い時間、

まだ20歳だった私の体に極力傷が目立たない様に。

癌細胞も転移細胞もできるだけ取ろうと、

一生懸命になってくれていたの、知っています。

再再発手術を土壇場でやめた時、

おしゃべりしながらの手術室、楽しかった。


私ね、この傷も、先生が気にしてくれている

下がった肩も、病気も。

隠したいとも、嫌だとも。

少しも思ったことないよ。

日常は何も不自由ないくらい、もう肩は動く。

心配しないで。

私は自分のこと。何も隠してない。

だって生きてるんだもん。

それで十分。感謝してる。


今、先生に助けてもらった命が繋がって、

二人も新しい命が生れたよ。※


先生、あの時私の命を救ってくれてありがとう。

生かしてくれてありがとう。

未来をくれて。本当にありがとう。

先生が生かしてくれた私の命、大切にするよ。

大事に生きるよ。約束する。

これからはゆっくり休んでね。お疲れ様でした。


私の主治医になってくれて、

私に出会ってくれて。ありがとうございました。」


最後だけ敬語の(笑)手紙を渡して写真を撮った。

※現在は3人


30歳を過ぎた私は

15年前と命との向き合い方も変わり、

そう人に言葉に出して伝えることが

できるようになっていました。


第七章へ続く…

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